父親はなかなか家に帰ってこない。

母さんたちは不況のなかでも絶好のお客様。

母親の絶望の深子どもも、将来において価値を生み出してくれるから、いっそう高い価値をもたらしてくれることを期待して、子どものうちからせっせと勉強という名の投資を行うのだなるほどと思います。いい高校に入っていい大学に入学して、その学歴を背景に官僚になり、あるいは大企業に入社し、将来立派な社会人として成功してもらいたい。そうすれば自分も鼻を高くできるし、おまけに楽だし、ついでに老後の面倒をみてくれれば最高だから、と考えているのでしょう。口ではあなたのためを思ってのことよと言ってはいても、これは子どもの人格や人間性を無視した、親のエゴイズムにほかなりません。
子どものためを考えるならば、この子にとって本当に必要な刺激や学習は何かを、それこそ真剣に考えるはずです。
「子どもは、大人になるためのひとつの段階ではない。子ども時代は大人になるための準備期間でもなければ、大人になるための予備校でもない。子ども時代は、子ども時代そのものに価値がある。
子育てを自己犠牲にしない
先生に確認してから保管と処分を仕分けましょう。子どもは本当に宝物だと思えるはずです

成長なのだ

子供の心に刻ましておきたい。

もし子ども時代が大人になるための準備期間だとしたら、子どものときに死んだ子は、準備期間のままでこの世を去ったことになり、まことに痛ましいかぎりだが、五歳なら五歳の人生と価値、十歳なら十歳の人生と価値があると考えれば、その年齢で死んでも、その年齢の人生と価値をまっとうしているわけだから、安らかな眠りを祈ることができる」
宮崎さんの話から、私はこう感じたのですが、考えてみれば、人生に準備期間や練習時間といったものはどこにもありません。恋愛をするための準備期間なんて聞いたことがないし、結婚の練習にしてもそうです。子育てだって同じです。親になるための勉強をしっくしてから親になったなどという人はいません。子どもが生まれて親になってから、初めて無我夢中になって子どもを育てていく。

子供を叱っているのを見かけるけれど

このことがわかれば、将来の人生をにらんで子どもを受験戦争に追い込むだけでは、いかに意味のない育て方であるかわかるのではないでしょうか。
子ども時代が、子ども時代で完結しているならば、せめてその時代には子どもの満足のいく生き方をさせてあげたいものです。勉強ばかりさせられている子どもの、点取りのみに明け暮れる人生は、あまりにもかわいそうです宮崎さんはまた子ども時代の五分は、大人の1年に相当するぐらいの価値がある
とも語っていました。だとすると、ますます子ども時代の時間を、ズムで奪い取ってほしくないものです。
親の虚栄心やエゴイ
母から聞く美しい物語は、親と子のパイプをつなぐ子どもがグレるときの大きな原因のひとつは、欲求不満だと言われています。
母さんが言葉の先取りをしてしまう

子どもの世話をするのがいやだ

かといって、一定の欲求不満も、豊かな人間形成にまったく必要ないわけではありません。しかし、その時期は、やはりある程度の自我意識の確立がなされてからのものです幼児期、小学生の段階では、スッキリした満足感を獲得させることがより大切でしょう子どもの本質を理解するなら、たまには母親を独占させることも必要です。人間である以上、いとしい存在を独占したいと思うのは当然であり、この満足感を味わわせることも欠落させてはなりません。それが母親に対する温かみを子どもから引き出し、他人に対する優しさの原型になっていくのです。
R子という女の子がいました。
中学でもたくさんいるけれど

母子のやりとりのはじめに戻ります。

思いやりのかたまりのような子でした。賢くて、もちろん知識も豊富でした。母親と対面してみてなるほどなあと感心してしまいました。なんでも、小さいときから本読みをたくさんしてあげたとのこと力太郎の力のすごさに、母子で驚嘆する。がんこ伯爵のおじいさんの心をなごませ、氷解させていくセドリック少年の賢さに一緒に感心し合う。母をたずねて三千里の主人公の、母を求めつづける心情と行動に限りないせつなさを感じ、涙ボロボロ。ときには親子で笑いころげたり、恐怖ですくみあがったりしたこともあったといいます。
母親が多い

先生ちっとも分かっていないんだ。

そういう母親との心の交流のなかからR子は、人間というものの喜怒哀楽、生きていくということの至難さ、人を大切にし愛することの尊さなどをくみとっていったのでしょう。
この母親との共感·共鳴で培われた彼女の人格は、子ども集団のなかで見事に生かされていましたこういう経験を持たない子、親との心の通い合いを持てない子はどうでしょうか。言ってみれば、親子関係が命令と服従禁止と受け入れというワンパターンで育った子です。母親の指示でしか動けない指示待ち症候群、そしてマニュアル人間に創造性は無縁です。率直に言って、親子の絆がつくられていない家庭では、親は親、子どもは子ども、とひとり歩きしてしまっています。
小学生がある日突然、年少の少女を襲う通り魔に変身したり、ホームレスに集団でリンチを加えたりなどという、考えも及ばない事件が多発しています。事件後、その加害者の子どもが、ケロッとした表情でいることが多いという報告もあります。空恐ろしい感じがするではありませんか。