指導員がいることです。

子どもたちが多かった。

母親の視点がプリントから動かない。日本全体が貧しかったから、遊び道具の手作りなどは当たり前でした。竹トンボは削り方ひとつで、代距離が違ってきます。たこをより高くあげるために、また、メンコは敵のものをうまくひっくり返すために、さまざまな工夫を重ねたものです。そして、神社の境内でかくれんぼや缶けりに興じて、日が暮れるのも忘れたものでしたよく、車社会の危険性を言う人がいますが、考えてみれば、昔だって一歩外に出れば危険はいっぱいありました。
指導員がいることです。
母さんが枝里子ちゃんに花の冠を作ろう高校なんてろくなやつがいないといういらだちわかる

母を見たことも私は生まれて初めてだった。

子どもの親のほう

田舎にしても、都会にしても、砂や砂利の山には柵などしていなかったし、井戸を備えている家も多かったから、そこに落ちる可能性もありました子どもは自分で身を守る術も習得しなければならなかったのです。ふりかかってくる災難と戦う勇気が必要だったこともあります。
よく遊び、よく学べとは言っても、考えてみれば昔は、よく遊ぶことがそのまま学ぶことにつながっていきました。さまざまな遊びを通して、魅力のある、知的好奇心に満ちた人間ができあがっていったのです。遊んでいるときは、ほとんど走りっぱなしの毎日でしたから、いやでも体力がつき、運動能力も高まっていきましたしかし今、子どもによく遊べと言うと、それはともすると、テレビゲームやパソコことになってしまいます。

父親の意識を変えていくことも大切です

もちろん、パソコンで遊ぶことで、いろいろな能力を身につけることはできるかもしれません。新しいソフトを考えることだって、知的能力を高めるでしようし、集中力も身につくでしょう。しかし残念ながら、運動能力は身につきません運動能力を身につけるということは、ただ体力がつくということだけではありません運動をよくする子どもは、それを通して、よく考える子ども、忍耐力のある子ども、そして困難に打ち勝つだけの精神力のある子どもになっていきます。
だから今は、よく動き、よく学べと言い換えなければならない時代になりました。
児も、家から出て、おおいに身体を動かすことが不可欠でしょう育ところが最近は、若い母親の間で公園デビューという言葉が一般化しています。
子育てを自己犠牲にしない

勉強がわりによくできた。

子どもがよちよち歩きをするようになったころ、公園へ連れていって、先輩の母親たちや子どものなかに入っていくことを言います。昔のように、だだっぴろい広場もなくなり、住宅事情も悪くなった今、この公園デビューは、大事な儀式になっているらしいのですとくに、内気なお母さんとその子どもの公園デビューの緊張感は大変なものであるといいます。このような緊張を強いられる母と子には同情するばかりですが、避けられないひとつの通過点として、明るく乗り越えていくしかないのかもしれません。なんとも大変な時代になったものだと思います。
大きくなってもメダカはメダカ
と言ってしまえば教育は終わり
ある中学校で起きた事件です。
子どもになります

学校に入れるかどうかとい

成績が優秀なある子がトイレに行っている間に、クラスメートがその子の弁当箱につば「今をはいたのです。
何も知らないその子は、昼食時にそのままつばの入った弁当を食べ、のご飯は水気が多いな」。
つばを入れた子たちは、冷笑します背筋が寒くなるような話ではありませんか。
だきこのような、まさに唾棄すべき行為でしか自己表現のできない子どもが育っています。日本という国の未来はいったいどうなっていくのでしょう。
「お母さんは、悪いことをするくらいなら、餓死してでもいい、正しく美しく生きたがしこれが、私の母の口ぐせでした。
父親はなかなか家に帰ってこない。

子どもたちの自発性を尊重します

人間は、努力で乗り越えられないものはないこと、安易に他人のせいにしてはいけないことなど、多くを語ってくれました。さまざまな悪の誘惑、自分の心の中からの悪魔のささやきがあるとき、必ず脳裏に去来するのが、母のこの言葉です。
では、つばを他人の弁当に入れる子は、はたして喜んでその行為をやっているかと言えば、答えはノーでしょう。哀しさと、不安感と、自分は生きていけるのかという恐怖心の延長線上での行為と言ったら、甘やかしでしょうか。
大きくなってもメダカはメダカ」
という歌がはやったことがあります。
子どもたちはあの歌を、どういう気持ちで歌ったのでしょうか。歌は人間の心の発露です。もっとも鋭くそのときの人心を反映するものなのです。
だけどやっぱり、メダカはメダカやっぱり、スズメはスズメと、子どもたちが心底思い込んだら、いったいどうなるでしょうか。快いリズムとテンポの奥に秘められたペシミズムとニヒリズムに、胸が痛くなります。
子どもの絶望感とシラケの風潮には強いものがあります。
敷かれたレールに乗れなかっ経済大国などと浮かれていることはできません。さまざまな空洞化が進むこの国で、はり、子どもの心の空洞化も進んでいます。