子育てを自己犠牲にしない

子どもの模倣行動について詳細な検討を重ね

子供にいい尊厳きわまりない人間生命の旅立ち、この姿形から、いったい私たちは何を学べばいいのでしょうか。
しんえん不十分かつ浅はかかもしれませんが、何点か考えられることがあります。それは第一に人間が生きるということは、適性、非適性などという次元でとらえることではないということ。とくに母親は、生命を生み出す立場にあります。そのへの畏れとともに、生きて生きて生き抜く、雑草のような意欲こそ、母親には肝要と考えるのです現代社会における最大の課題は、人類が生き延びることにありますが、それは、矛盾のなかから、しかもその矛盾が先天性であろうと後天性であろうと、そのなかからこそ学びに学び、個の生きる力を、全体の生きる力にどう転化していくかということです。いや、矛盾のなかからしか学ぶことができないのが、現代社会の本当の状況ではないかとも思えるのです第二に、あくまで相対価値を積み重ねていくことの大切さを考えたいのです。
子供が生まれるとまず肉体的
母さんの心と体のエネルギー勉強するのだと言い三歳

子供が騒いでいるととても気になります。

子供はそんなこと聞くもんじゃありません。

まどろっこしいからと言わず、いらだちを感じつづけようとも歯をくいしばり、うまい話なんかぁるわけがないと自らに言い聞かせ、たった今の課題を、黙々と、総合的,鳥瞰的に、そちょうかん
して虫の眼をもってとらえ抜き、その課題克服めざして一歩一歩歩むことです第三に、この実践に、心底喜びを感じられること、そしてその習慣化です。人間の意志は弱いものですが、習慣になれば強いのです。人間は習慣の束であるという言葉をよくかみしめたいと思います母のしなやかな知性を子に伝えたいヒッポファミリークラブというグループがあります。同じ話を七カ国語でテープに吹き込み、耳から七カ国語を修得してしまおうという、語学学習グループです。

いじめたい

ヒッポというカバの一族を主人公にしたさまざまな物語があるのですが、それが人間社会を映し出しているところがあって、なかなかおもしろいのです。
たとえばぼくはなあにというお話があります。周囲の事物への好奇心いっぱいのカバジンという名のカバが、親にあれは何?これは何?と聞いているうちに、ふと自分に目を向けぼくって、何だろうという疑問を持ちます。
そして、自分に似たところのある動物を訪ね歩き、結局、お父さんもお母さんもおしりが大きく、色も灰色で、角もないことなどを発見し、ぼくもヒッポ、ぼくはぼくと悟るという物語ですつの最初に、カバジンが父親と母親にぼくはなーに
あるシーンなので、苦笑する親も多いと思いますとたずねる場面は、家庭の中によくまず初めに聞かれた父親は、パパは忙しい、ママに聞きなさい、ママにと母親にふります。
母親が多い

しつけがなってないとかよく言うでしょう。

母親はヒッポよヒッポはヒッポと答えていき、なおもしつこく聞かれるとごはんのしたくで忙しいの。そんなこといっまでも聞かないでとやり、あげくそんなにしつこい子は、うちの子じゃありませんと決定的な言葉をはいてしまいます大人にとって、当たり前で聞くまでもないようなことですが、あらためて考えてみるとはっきり答えられないということは、たくさんあります。雨が降ったあとの虹にしても、どうしてと聞かれれば、答えられないことはないけれど、わかりやすく説明するのはむずかしいでしょう。まして雪はなぜ白いのなどと聞かれたら、答えようがありません。
白いから白いのと、答えにならない答え方をしてしまいます。
そのとき、せめて本当に、どうしてなんだろうねと、一緒に考える姿勢を見せてほしいのです。そうしないと、子どもは、母親に聞いても仕方がないと考え二度と聞くまいと思うでしょう。
学校を続けるのがい

子供たちを連れていっ親が送りに来て

エジソンやスピノザやアインシュタインなどの母親はいずれも、子どもの質問をうまく受けとめていますついでにもうひとつ紹介すると、ひっくりかえったという話があります。
おきてヒッポの一族には、川で泳ぐとき、仰向けになってはいけないという掟があります。それがあるとき、カバジンが、はずみでひっくり返ってしまいます。あまりの気持ちのよさにうっとりしていると、それを見た子どもたちが次々にまねをします。止めようとする大人たちも、子どもたちがあまりに気持ちよさそうなので、やってみます。そして結局はを変えようということになるお話です。
ひとつの決まりごとに固執していては物事は発展しない、ということを示唆し、なかなか興味深いものがあります。
子どもたちの学級の意味です。

子どもは違う人間なのです。

知性を磨き、伝えるということは、このような何でもない疑問や発想の転換から生まれることが多いと思います。知性は、疑問を持つことから出発するという大前提があります。
最高最大価値と思われていることがあっても、もっといいものがあるのではないだろうかと疑う知的欲求がなかったら、もっといいものを発見することはできません。
母親には本来、新しいものを受け入れるしなやかさ、柔軟性が備わっています。これからの時代、そこを基盤としたしたたかな知性が要求される部分が、必ず増大していくでしようorよく遊び、よく学べ
よりよく動き、よく学べ
私たちの世代が子どものころは、よく遊び、よく学べと言われました。よく遊ぶ子どもは、知的好奇心が養われ、友だちと遊ぶことで、正義感や工夫心が生まれてきます友だちのなかには、実にいろいろな子どもがいます。体格のいい子や、やせている子、力の強い子、弱い子、年齢差のある子と、いろいろなタイプのなかで群れて遊んでいればみんなが楽しむために、弱い者をかばう正義感も、工夫も必要でした。