子ども像と現実の自分との落差に悩みます。

子どもの創造性をのばす

noその強さや豊かさは、他者を本気で思いやる労作業なしに、ないという冷厳な事実がそこにある人格形成に決して還元され大丈夫だよと言えない親が子どもを不安にさせる現代は、ひとりっ子、もしくは二人兄弟が多数を占める社会になりつつある。
戦前のように五人兄弟、十人兄弟というケースは、今やきわめて少ない。
そのためか、親は数少ないわが子に完璧を求めてしまう傾向が強い。オール5の子を志向するわけだ。それが極端になると、たとえば音楽が苦手ならば音楽を習わせようとする。体育が不得意と聞くと、スポーツ教室に行かせようとする。算数のできが悪いなら
塾か家庭教師に任せよう、となってしまう。
自分自身の子どものころを考えてみればいい。
冷静に、何もかもが飛び抜けている経験ずみのはずだオールマイティのスーパーマンにはなりきれないことなど、ところが、多くの親には焦りがある。厳しい生存競争の中でこの子がポシャッたら大変なことになるとの思いは強い。
先生自身の力量不足だけが原因なのではなくお父さん

小学校の時代には最

母さんだけが本当

父親には絶対できないようなことをやってのけるそこで、せっせ、せっせとわが子の尻をたたきまくって、ワンパターンにのめり込むこの親の焦りが、鋭敏な子どもに伝わらないわけがない。
本来は、自分らしさ、本当の個性の土台石を、じっくり、じっくり培う時期であるはずだ。それなのに、子どもたちは馬車馬のごとくわき目もふらずに、競争にのみエネルギを燃焼させられてしまう。この焦りは不安につながる。そして言いようのない不安こそがさまざまな矛盾の水源になっていく。言ってみれば、渡り鳥が疲れはてて、何かに止まりたいと欲しているのに、安心して羽を休められるものがないような状態なのだ。
安心感がほしいとき、羽を休めることが必要なときに、羽を休める場所を奪われたらどうなるか。もたらされる状況は、火を見るよりも明らかだろう。

先生だと思って聞いてあげる

育てたいとひたすら一生懸命
子どもに真の学力をつけ、能力をつけたいと願うことは、親の心情として当然であり責務と言ってもいいほどのものであることはわかる。その機会を十全に与えるということもよいことには違いない。だが、親にまず求められることは、普通に育ってくれればいいという、一定の自戒ではないか。
それには、平凡ということを、決してつまらないものではないとする、生観を確立する必要があるように思う。たとえ平凡とさげすまれようと、貫く中に、育つべき非凡は必ず育つと、確固と見すえることである。
腰のすわった人精一杯、誠実をその心の余裕が、子どもを大きく包み込む力を持つ。
小学校から一貫

教育に偏った結果情操

高校三年間低空飛行をつづけてとても第一志望
子どもにとって不可欠なのは、この親の心のゆとりなのではないのか。この雰囲気を持つ親に育まれる子どもに多く見られるのが、実はのびのびであり、しなやかなのであるこの二つは、子どもの大きな守護神になる。壁にぶつかったときに、自分で道を探したり、退路を見つけたり、場合によっては道をつくったりする能力になる。逆に、この二つを、親の強い焦りと頑迷さから培えなかった子どもは、を発想することができない。
目の前ののみが、限りなく広がってしまう。壁の向こう側には無限に青空が広がり無数の道があるということに、思いがいかない。ここに悲劇が始まる。
だから父親としては、いたずらに子どもに焦りを助長する雰囲気をつくることを避けなければならない。

子どもの足音がするとさっとそれを消して

子どもの時期を脱してちょっと世間が見えてくる頃
そして、子どものさまざまな生活実践の中から、長所と能力を認めたなら、よーし、応援してあげようくらいの姿勢でいるのが、ちょうどいいのだ。
トルストイは、誠実に徹するとき、人生に恐るるものなしと言った。親は子どもの生活を見ていて、ころ合いを見て大丈夫だよ一生懸命努力していく気持ちがあれば、大丈夫だと言ってあげることだ。
この大丈夫のくさびは、子どもが難破しそうになったときに、て、沈没から救う決め手になるであろう。
子どもだけが責められたときに現れます。

学校の宿題に取り組む姿勢

強大な復元力となっ
プロローグ今、母親は、父親と違う何を子に語るべきか母が子に会えたこと以上の感動は、この世にそうあることではないある新聞の家庭欄にこどもの詩という小さなコラムが掲載されていました。小学生くらいの子どもの書いた詩、あるいは折々の幼児のつぶやきや言葉を親が書きとめたものを1編ずつ紹介し、詩人の川崎洋氏がひとこと注釈していました。幼い詩人に対する川崎氏の優しいまなざしが感じられて、嫌なニュースも多いなか、1服の清涼剤となっていました川崎氏は、あるラジオ番組に出演したとき、これらの詩にふれ、なかでも彼をもっとも感動させたものは、四歳の子どもの、次のような言葉だったと語っています。