子どものまわ

母さんたちはきっと気付いてもいないだろう

母性がゆがめられることは、子どもに決定的な悪影響を及ぼすもとにもなるから怖いのです父性が相対的な対立なら、母性は絶対的な受容宮沢賢治の生誕百年にあたっていろいろな催しが行われたとき、女優で陶芸作家の結城美栄子さんは、賢治の童話に登場するさまざまなキャラクターのなかから百体の人形を作ったそうです。賢治の世界にひそむ不条理、残酷、悲哀が各人形の体を通じて表現され切ない愛らしさとあいまって、独特の世界を築きあげたという高い評価を受けました。
映像作家の吉田直哉氏は、花巻の賢治の生家を訪ねて、ご両親の話を聞いたときのことを次のように語っています。
子どもの性格を悪くしてしまう例があるからです

子供を抱え

母親が三学期に入ってから相談に来ました。

子どもにまかせてみたときにつ賢しゅうのしたことなどは、岩にぶつかって、ただはね返されているようなことばかりですじゃと、創作を含め賢治の行為を無益なものとする厳父が言えば、そったなそったなむぞぃ
無情なことんで読むようになるんすじゃ、と胸はっていいましたす
と慈母は、今も賢治がそこにいるように、茶の間に目を走らせながら彼をかばった。歌のように美しい花巻弁だった。夢を見ているとしか思えぬ息子を、日家の家父長として気づかった父政次郎氏と、夢が認められる日まで生きていてほしかったと嘆く母イチさんと、それぞれの愛情が対照的だった六右’.賢さんは私に、今はまだでもいつかみなきっと、喜この、賢治の両親の言葉には、父性と母性の対比が如実に表れているのではないでしょうか。母性が圧倒的に力を発揮するのは、子どもが十歳前後までと前に述べましたがこれは父親の出番が、反抗期を迎えるころだということになります。親の価値観と子どもの価値観がぶつかる時期です。形としては、母親と対立しているかのように見える場合もありますが、ターゲットはあくまで父親ですから、父親と葛藤して、反抗したり理解した
リということを繰り返して、子どもは自立していきます。

成長を願われてのことであ

子どものメンツを潰しにかからないで。
父親とは、そういう緊張感の伴った関係であり、存在なのです。父親は社会の代表ですから、競争原理を否定することができません。絶対的な社会というのは存在しませんから相対性の世界と言えます。
一方、母親はどうかと言えば、それは全面的、絶対的な受容です。子どものあるがままをすべて受け入れようという心の姿勢があります。いつかみなが喜んで読むようになる
という息子の言葉を信じた賢治の母親は、この絶対的な受容の世界の典型ですが、きっとすべての母親に共通する要素なのでしょう。
子どもの進路についても、母親は心情的に感性で理解するから、すぐに受け入れますある一流大学の付属高校に通う子どもの親の例をあげてみましょう。
子どもがすでにこれではたとえ

教育水準が高くなった。

父親の役目である。
子どもの成績は抜群だったので、大学の学部はどこでも選べる立場でした。本人が文学部に行きたいと言いだしたところ、父親は経済学部を勧めました。卒業してからの進路に有利だという判断もあったのでしょうそれに対して、子どもの選択を支持したのは、母親でした。母親は社会情勢や卒業後のことなどあまり考えませんでした。子どもの選択を感覚的に正しいと信じ、受け入れたのですそうりょ作家でもあり、僧侶としての最高位もきわめ、文化庁長官にもなった故·今東光氏は子どものころ手のつけられない悪童だったといいます。それは、大人になってからの独特の語り口、あのべらんめえ口調からも十分うかがえることであり、多くの人に親しみを与えたものです。本当に偉い人というのは、それを人に感じさせないものだなと感心した人も多いのではないでしょうか。

子供のケンカを見つける

成長路線をひた走っていた頃だ会社人間
その今東光氏が、お父さんにもお母さんにも無断で家出をしたことがあります。青雲の志を抱いて東京をめざしたのです。それをいつの間にか察知したお母さんは、なんと駅へ見送りにきたのです。今東光少年はてっきり連れもどされるか、そうでなければ、逆に「おまえみたいな子はもう知らない。どこへでも行ってしまえ。戻ってくるな」と言われるかと思いました。ところが、そのときお母さんが言ったのは、次のような優しい言葉でした「他人様に迷惑をかけないで生きていくのだよ。家を離れれば、苦しいことや嫌なこともたくさんあるだろうし、困難にぶつかることもあるだろう。本当に我慢できないと思ったら辛くてたまらなくなったら、いつでも家に戻っておいで」
子どもがすでにこれではたとえ

子どもがスポーツ選手や歌手など有名人にあ

彼はその言葉に育てられたと後年語っていましたが、母親の優しい言葉に泣いた少年は苦しいことがあると、その母親の言葉を思い出し、あのお母さんの愛情に応えようと頑張ったといいます。
お母さんは、東京に行って何をするつもりなのか、どんな望みがあって家を出るのかそれは家出をしなければできないことなのかなどという、理屈めいたことはいっさい聞きませんでした。ただただ、辛くなったら戻っておいで、とだけ言って送り出したのです。
母親とは本来、そうしたものなのではないでしょうか。
母親は、娘にとってはモデル、息子にとっては最初の異性私が大学在学中、ミセス·ブラウニングという七十七歳になる英語の先生がいましたまっ赤なワンピースを着てキャンパスを闊歩する姿は、いかにも若々しく見えました。