子どもが生まれて初めて

子どもはその瞬間その瞬間の中で生きています。

だから、人も物も愛し、大切にします。愛されることは快感であり、幸せなことであり、安心できることだから、それを人にも分けてあげようという気持ちの余裕も生まれるのです。
思想の形成、ものの考え方、生きる考え方、社会観といったものが、あるとしたら、母から学ぶものは、もっとどろどろとした生そのもの、はないかと思うのですが、いかがでしょうか。
父から学ぶもので愛そのものなのでこれからは、自宅をオフィスにして、パソコンを駆使するスペシャリストの時代がくるでしょうが、その時代に生き残るためには、母親のしなやかな知性が大切になります。
インターネットを駆使したIT環境のなかで、今の受験生が日夜努力してやっている受験勉強など、時代とともにどんどん変質していくに違いありません。
スペシャリスト社会において、求められることは何かといえば、ひとりでいて少しも寂しくないという精神構造です。

先生で悩み子どもが生まれて初めて孤独に強い子どもは、母の無償の愛から育つと言ったら言いすぎでしょうか納得していただけるのではないかと思いましかし、す次のように話を展開していったら、第一に、母親から愛された子どもは、愛することを知ります。
人間にかぎらず、動物や
植物、文房具にいたるまで、大切にすることを知っています。だから、集団のなかでも十分楽しくすごすことができます。集団のなかで楽しむことを知っている子どもは、集団にはルールがあること、ルールを守ることで、集団から守られるということが理解できています。集団から守られる恩恵を受けた人間は、ルールを守る喜びを体得するのです。
集団のなかで得るもので、もっとも素晴らしいものは、フレンドシップです。

 

母さんが娘さんに対してしかねません。

もちろん集団だから、競争もあり、闘争もあり、けんかもあるでしょう。しかし本当の友情は、競争や闘争やけんかのなかから生まれるものです。日本の子どもたちはその点、不幸なのです今の子どもたちに、本当に信じられる友だちがいるかとたずねると、ほとんどの子どもは首をふります。集団でいるようでも、心は通っていないのです。ただ、たむろしているだけなのです。だから、集団暴力で、相手を死にいたらしめるようなことにもなってしまいます。集団でのルールを確立していないからです。
母親から愛されることで愛することの価値を知り、集団のなかでも十分楽しむことができる子どもは、ルールを守る喜びも理解し、ひとりになっても寂しくありません。集団のなかで、自己を解放し、律する力をたっぷりと身につけているからです。
集団のなかで本当の友を得た子どもは、ひとりの部屋に帰っても、となく、にこにこと孤独を楽しむことができます何の不安も感じるこ日本でも、かつて土井晩翠が友が憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞うと歌ったような世界があったはずです。子どもは社会からの預日本の歴史のなかでずっと継承されてきたはずの、このような心情世界を早く取りもどしたいものです0父性的競争の原理から母性的協調へ江戸時代末期に来航した黒船は、日本中を大混乱させました。尊皇攘夷派、開国派、佐幕派など、種々の思想が入り乱れ、多くの人々の血も流して明治維新を迎えました。それ以来、日本という国は、列強に追いつけ追い越せとばかり、富国強兵の道を進んだのです歴史にもしもは禁物ですが、あの坂本竜馬が維新後も生きていたら、少しは違っていたかもしれません。犬猿の仲だった薩摩と長州を結びつけ、幕府の勝海舟とよしみを通じ、西郷隆盛との会談を設定したほどの人物です。競争の原理に何か違うものをつけ足すことができたのではないか、などと考えます。

    1. 成長しているのである。
    1. 子ども自身は手をつないで川べりを歩い
    1. 母親のその統計はどうか。

子ども好き

それはともかくとして、維新以来、とくに二十世紀になってからの世界を父性、いう概念で考えると、戦争の時代、革命の時代、流血の時代であり、それは父性、社会だったと言っていいと思います。
母性と父権の父性、父権の社会というのは、何がメインテーマだったかというと、それは当然競争原理の社会です。父性原理から見た、価値観や道徳観、社会観、人間観、人生観といったものが厳然としてあり、父親が自分の生きる姿勢を通して、子どもに提示していくという公式がありました。
そこで培われた人格が社会化し、社会に適応し、適合し、順応するという図式が当たり前のこととして存在しました。人間が社会的な存在として位置づけられているという大前提のもとに、父親の存在価値があったのです。だから、競争社会に適応できない人間は落ちこぼれとか、窓際族などという言われ方で、社会のすみっこに追いやられてしまいましたしかし、人間は競争だけでは生きていけず、共生の精神も不可欠であるということに、人々はようやく気づきはじめています。もちろん、いつの時代でも競争だけでなく、協
調·共生とのバランスはあったでしょう。しかし、あまりにも激しい競い合いのなかでどうしても競争の原理が表に出すぎてしまっていた部分があると思います。競争がなければ進歩も向上もないから、頭から競争を否定するのではなく、母性的な協調がもう少し大きな位置を占めてもいい時代にしなければなりません。
教育法とまったく同じです。

子どもや若者がたむろ

たとえば、最近主婦を中心にはやっている働き方の例をあげてみましょう。メンバー全員が同額の資金を出し合ってひとつの事業を始めるというもので、発言権も決定権も平等給料も働き時間に応じて均等に支払うというシステムです。一人ひとりの技量や思惑もさまざまですからむずかしい面もありますが、何とか折り合いをつけ、協調してやっていこうという、競争原理からかけ離れた働き方ですそして、もうひとつ例をあげるなら、生産者と消費者とが協調して、国内産業を守っていこうという方向もあります。男社会の原理から言えば、なるべく安く買いたたいて、たっぷりの中間マージンをとって、消費者に高く売ろうということになるでしょう。そして、生産者は生産調整をして、それに対抗しようとするでしょう。
それを協調の原理で言うと、たとえばキャベツを生産するのにどのくらいコストがかかるかを試算して、そのうえで価格を決めるという方式をとります。


子どもが生まれて初めて 母さんは十分にかみしめてほしいのです。 子供にも使命感は育たないといえるでしょう。