先生をオシッコよばわりしなくてすむ。

子どもの肩に暖かく手を添えてやって何気なく親自身

動いている、何かをやっているなかにこそ、人間としての正常さがあることを、母親は自らが実践し、子どもに語ってやるべきなのです曲がった子を、親の人生の曲がった部分で見てやる広島の平和祈念館館長をしていた高橋昭博さんに、こんな話を聞かされたことがあります
これはひとりの少年の話ですが、東京の中学生でK君という子です。いわゆるつっぱり少年のワルだった。そのK君が修学旅行で広島へ来て、原爆資料館や原爆病院などへ行った実は、K君だけは広島へ行きたくないと反対していたんですが、その後、上京したときK君に会ったんです。すっかり変わっていましてね。思いやりのある少年になっているんです。

母親が家を出ていってしまったのでした。父親はなかなか家に帰ってこない。ぼくは被爆者の痛みを通して、人間の痛みがわかる心を広島で学んで帰りましたと言うんです。K君に教えられた思いでしたふれ合いの大切さを教えられる話です。
かつて慶応義塾大学学長だった小泉信三氏が、私は百冊の本を読むよりも、百人の人に読書も大事だが、会う
人と会うことはもっと大事だ。
という意味のことを語られていたのを思い出しますK君は極限の病苦と闘う被爆者の方々を見て、何を感じ、どう考え、何を決意したのでしょうか理不尽きわまりない戦争に巻き込まれるだけでも、大きな犠牲です。まして肉親を奪われ、戦後五十年以上もたちながら、いまだに死の恐怖や激痛と対決し、しかも決して生きる希望を失わずに、前向きに人生をとらえている被爆者の方々。

 

両親から溺愛をされているため

この生きた教材は、学校生活に魅力を感じないで、シラケや鬱憤ばかり感じつづけたK君の心を完全にとらえ、彼にとって最高の教師の役割を果たしたのです。
うっぷん人間には、善性も魔性もひそんでいます。人の不幸や悲惨を見て、自らの劣等感や心の傷が癒される心理を、人間は持っています。他人の悪口を言うことや、すべきではない傷をすることで自己満足したり、お互いの劣等感をナメ合い、癒し合ったりするような悲しい性さえ備えているのが人間です。教育がもっとも大切であるということになってさがだが、どうでしよう。K君は他者の極限苦に涙し、苦しみを共有しようという心情に駆られるなかで、自分を立ち直らせようとしました。自分の苦しみなんか、チッポケなものじゃないかと、大きな不幸を持つ存在に対し
申しわけなさを感じ、ザンゲをするような心の動きさえ、チラリと感じさせたのですつっぱる子どもに対し、決して無差別に甘やかしてそれでよしとしてはいけません。ただ、学校教育というものが、真に、子どもの学びたい、知りたい、伸ばしたいと思いこがれているものを、吸収し生かすことにあまりに前向きになれない事実を突きつけられているような気がするのです。
親としては、子どもが欲求しようとしまいと、これだけは身につけさせないと……

いうものが多くあるのは当然です。

    1. 勉強するこどもがあらわれる。
    1. 体験から推察すれば単に異常という
    1. 中学生いいえ

勉強とは直接関係のないことに熱中している時

世界があって、日本があります。地域の実情もあればさまざまな教育的不可避性もあるでしょう。だが学習権を持つ、学ぶ主体者·主人公はまぎれもなく子どもたちです。知識は少なくとも、先行経験は乏しくとも、人間の子どもです。子どもなりのバランス感覚も、いや子どもだからこそ備えている触覚もあるのです。
子どもが曲がってしまうのは、生きようとする意志がある証拠です。ものになる可能性を持っているということだと思います。自らの胸に手をあてて、生まれたときから今日までの半生を振り返ってみたいものです。誰でも大なり小なり、曲がり曲がって人生を軌道修正してきているはずです。そのときの自分を思い出しながら接しなければならないのです子どもが曲がったなと感じたら、親は子どもをなんで曲がるのかと責めるのではなく、曲げてしまった側の原因と、曲がった子どもの言い分と実態をよく見つめ、適切な大岡裁きをしてやることです。
経験させたいと思ったのでした。

教育熱心な親ほど

親ほどの名裁判官、芸術的裁き手は、ほかにはいないはずです人のことをわかろうとする深い人間性につながる人の立場を理解するということは、大人でもむずかしいものです。まして、人間関係の希薄な現代の社会的傾向が、人間性を喪失させていると言ってもよいでしょう。いちいち人の立場なんか考えていられるか、という風潮が強いのです。しかし、人の立場を考えるということは、人間社会を支える根本要件のひとつでもあります。親たちは自らがそこを優しさは、深く自覚しなければなりません。
かつての私の教師時代のクラスに、M子という子がいました。独特の雰囲気を持つ子でした。何とも言えない優しい微笑M子のいるところ、そよ風が吹いているような風情がありました。


父親はなかなか家に帰ってこない。 子どもを羊のように隷属的な人間にしないため 子どもを羊のように隷属的な人間にしないため