先生になる心構えをつくる

母さんはずるい

そして食べられる親、つまりヒナを守るために自分の身を挺して生贄になる親は、すべて母親なのだといていいます太平洋戦争の末期、アメリカのB29による東京大空襲が行われ、都心部がじゅうたん爆撃によって大きな被害を受けました。私が調べたところによると、これは完全なジェノサイド作戦であり、爆撃エリアの皆殺しをねらって行われたものです。逃げ場を失って亡くなった人々は、この空襲だけで八万人以上を数え、まさに地獄絵図の世界が現出されまし
その際、母親が子どもの犠牲となって死んでいった例が、く見られていますとくに下町の本所深川で数多消防隊が出て火災を鎮火させると、かすかに赤ちゃんの泣き声が聞こえます。
子どもだけが責められたときに現れます。

しつけようとしません。

幼稚園に送り出すわけにもいかない

育てることが自分の生き甲斐だと思っています。声を頼りにその場所へ行ってみると、そこには大きな木炭の燃えかすのようなものがあり、その下から赤ちゃんが顔だけ出して泣いています。
木炭と思われたのは、実は赤ちゃんの母親であり、逃げきれなくなった母親が手で土を掘って穴をあけ、そこに赤ちゃんを埋めて顔だけ外に出し、その上から自分が覆いかぶさって赤ちゃんを守っていたのです。
子どもを捨てれば、もしかすると母親は逃げることができて、助かったかもしれません。
しかし、自分と子どもと、どっちの生が大事かと考えたときに、母親は自分の生ではなく子どもの生を選んで、子どものためにいさぎよく犠牲になったのです。
戦前の儒教中心の教育は、生まれては親に従え女性は嫁して夫に従え老いては子に従えという三従の思想を骨身にしみ込ませるものでした。

子どもとの間の約束です

父親に会うことにした。
これが母親の行動に影響を与えた部分もないではないでしょうが、私はそれよりも、母性としての本能による行動であったと考えています。この本能は、種族の維持、保存のための崇高な本能と言い換えたほうがよいでしょう。冒頭に紹介した雷鳥の行動例も同じです今の世の中では、本能という言葉は、あまりほめられた意味では使わないことが多いかもしれません。たとえば本能のおもむくままに行動していると言われたら、それは理性を働かせられない人という、軽蔑を込めた意味になります。しかし、雷鳥の例にしても、赤ちゃんの犠牲になって死んでいった母親の例にしても、本能のおもむくままに行動して、わが子を救おうとしています。この本能を、誰が軽蔑し、否定できるでしょうno女性は子宮で感じ、子宮で考えると言われますが、母親はへその緒で感じへその緒で考えへその緒で語るものだと私は思います。
子供に追い打ちをかけることもやめてください。

子どももまのあたりに見てしまう。

学校内暴力というとかつて
自分のおなかの中で、へその緒を通じて血を与え肉を与え、ひとつの生命体に育てあげた母親は、たとえへその緒が切られても子どもを自分の分身と考えて、特別の感情を込めて子どもと接するものです子どもが大企業の社長になり、七十歳を迎えることになったとしても、九十二歳の母親はおい、太郎と平気で声をかけたりします。これなどは、へその緒のつながりがあればこそです。父親の口からは、そのような雰囲気の言葉はまず出てきません。
子どもに何を語るべきかわからなくなったときは、いたずらにむずかしい話を持ち出そうとして悩まず、自分の母性が持っているものをストレートに出せばよいのではないでしょうか。母性から出た自然の言葉は、変にいじくりまわした言葉よりも、よほど説得力があります。考えすぎてはいけません。

先生も可愛がってくれます

先生の丁寧なアドバイスや先輩ママ
もっと楽に、自由に、自分のを出せばいいのです。
子どもは天からの授かりものだと、本当に思えるか拙著今、父は子に何を語るべきかで、結婚する男女にすぐ子どもは?と聞くのは、いい加減にやめたらどうか、ということを述べました。結婚というのは、惹かれ合ったふたりが一緒に暮らしたいという経緯で成立するものであって、子どもが生まれても夫婦はいつも男と女でありたいと思うからです皇太子殿下が婚約したときの会見でも、お子様は何人くらいがご希望ですか?
学校へ入るころになってからさあど

母さんにとって同性です。


やはりこの質問は出ましたそうたずねる記者に、殿下はにこやかに答えました。
コウノトリのおぼしめしのままに
言葉は、私が一生お守りしますから
という思いやりあふれた言葉とともに、多くの人に強烈な印象を残したと思います。子どもというのは、つくるものではなく天から授かるものだからです。自分の意思でつくった自分の作品だと思っているから、生かそうと殺そうと私の勝手とばかりに子どもを私物化し、心中の道連れにまでしてしまうのです。とんでもない話ですコウノトリといえば、私はいつも、ウォルト·ディズニーのアニメ映画ダンボを思い出します。